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経 歴
1976年(昭和51年)12月 富津市岩本生まれ
峰上保育所〜環小学校 卒業
1992年(平成4年)3月 富津市立天羽東中学校 卒業
1995年(平成7年)3月 千葉県立天羽高等学校 卒業
高校卒業までを地元の学校に通う
1995年(平成7年)4月 国際理工専門学校 CAD建築デザイン科 入学
1996年(平成8年)3月 同校同科1年生課程修了後 退学
1996年(平成8年)4月 東京測量専門学校 測量科 入学(一人暮らしを始める)
1997年(平成9年)3月 東京測量専門学校 測量科 卒業
会社員〜家業〜独立 2002年富津市初となるNPO法人を設立する。
2004年(平成16年)4月 富津市議選に初めて立候補、1,127票を集め当選する。
2008年(平成20年)4月 富津市議選2期目に挑戦、953票を集め当選。
現在に至る
学生時代
保育園〜高校卒業まで全て地元の学校で過ごしました。地元で過ごす時間が多かった為に、自然と地元愛が深くなっていました。
人に言えないことやたくさんの人に迷惑を掛けた事もありました。
高校時代はサーフィンにハマり、学校へ行く前と学校帰りに鴨川まで原チャリで通っていました。海にいる時間がとても多かった高校生活です。そのせいか、自然環境に対する思いは人一倍強くなりました。
専門学校では千葉市内、また、東京都内で学び、都内での一人暮らしを始めることになりました。
数学が全く苦手なのになぜこの道(数学の勉強しかしない)に進んだのかは自分でも未だに分かりません。
会社員時代
測量会社を経て家業である「大野建設」を支えるも「倒産」という経験をきっかけとして社会全体のしくみについて考えるようになりました。
大手ゼネコンの現場への出向で大手企業の実情も肌で感じ、大手企業と零細企業、都会と田舎の両方を見てきた中で、今後、自分はどういう生き方をしていくべきなんだろう?という事を考えていました。
そして、自分の生まれ故郷である富津市が豊かになるにはどうすればよいのだろうか?ということを真剣に考えるようになりました。
NPOとの出会い
家業の倒産の約1年後、趣味である草野球を通じて(公共施設の管理等)行政の市民に対してのサービスに疑問を感じ、問い合わせやお願いをするも、掛け合ってもらえず。
それならば、自分たちの手で手本を見せられるようにと、自分たちの手で野球場を作り、管理していく事を決意。友人数人と計画をスタート。
その中で、家業の倒産という経験もあった為に、どうせやるなら幅広く社会貢献できる形は無いかと考えていた時に「NPO」という形でやる事が合っているのではないか?と考えました。
また、行政に対しても提言していく
という事を考えると「NPO法人」として若くても社会に対して責任を負う形での活動をしていく事に決まりました。NPO法人の代表として数人でスタートしたNPO、何もかも手作りで自分たちで始めた為に、実績が無い・前例が無い・若い こんな理由から、NPOを立ち上げた時ですら現在の社会、行政のしくみに違和感を感じていました。
「これでは若い人たちが伸びやかな活動なんてなかなか出来ない」というのが素直に感じたことで、「これは政治から変えていく事が必要なのではないか?」という思いが強くなったのもこの時期です。
若い人や女性が伸びやかな活動を出来るように、それらを支援出来る環境づくりをしていかなくてはいけないのでは?と考えました。
自分の住んでいる街だけでなく社会全体を見渡してみても、子供からお年寄りまでがふれあう機会が少なくなった事も街全体が元気が無いように見えてしまう原因なのではないでしょうか?
そして若い人たちが頑張れる・活躍出来る環境が少ないことこそが地域の活性化を遅らせているのではないか?と考えています。
→詳しくはこちらをご覧下さい
プロフィール
| 氏 名 |
大野 裕二(おおの ゆうじ) |
| 職 業 |
自営業 富津市議会議員(2期)
特定非営利活動法人(NPO法人)代表理事
→NPOについて |
| 実 績 |
社会貢献支援財団「平成15年度(第33回)社会貢献者表彰」21世紀若者賞/日本財団賞を受賞(常陸宮殿下、同妃殿下より直々にお言葉を頂きました)
千葉県主催の県民NPO講座等、県内での講演
を行う。
富津市初のNPO法人を誕生させる。
NPOとして日本初となる全面天然芝の手作りの野球場を建設する。
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| 生年月日 |
1976(昭和51)年12月18日 |
| 身 長 |
174センチ |
| 体 重 |
65キロ |
| 血液型 |
B型 |
| 趣 味 |
野球、野球場・芝生づくり
(これは特技です) |
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